ところかわれば花変わる
東離の公式Facebookに、今まで見たことがなかった美しい花を背に映る浪さんの姿が。
台湾では卒業シーズンの六月に咲くという、学校等にたくさん植えられている鳳凰木という木の、赤い鳳凰花らしい。マダガスカル原産で熱帯に多く繁殖するこの花は、ほとんどの地域が温帯に属する日本では見られることがなく、植えられているのは沖縄などごく一部。初めて知ってWEBでいろいろと画像を探したけど、本当に色鮮やかな赤で、熱帯三大花木と呼ばれるにふさわしい花だった。
日本の場合、卒業シーズンは三月であるので、卒業花といえば桜。台湾で鳳凰花が学校に植えられるように、日本のどこの校庭にも桜はつきもの。
春はお別れの季節です、みんな旅立っていくんです、淡いピンクの桜。花びらもお祝いしてくれます。って秋元さんも名曲を書いている。卒業と別れに関する桜の歌がこれでもかとたくさん存在する。
それが、台湾だとこんなに燃えるような火の色の、夏の花の下でお別れをするのだなぁ。文化の違いって面白い。なにより霹靂さんに教えてもらわなければ、こんな花があると今まで気づかずにいたわけなので、ひとつ素敵な異国の花を知れて良かった。
この花の花言葉が「内気、永遠、臆病な愛、しめやかな愛」などなど。ちょっともう萌えるにもほどがあるのだけどと言いたくなるくらい、せつない両片想いをしている設定の殤浪によく似合うもので。いちゃラブの両想い殤浪も好きだけど、相棒同士でお互いへの愛を必死に抑えようとしている、男同士だからとセーブして、踏み込まないようにして、でも惹かれてしまう両片想い殤浪も大好物ですからね。互いに好意を寄せあってるのはわかるんだけど、でもどこか臆病になってしまう、それが浪さんのほうであっても、殤さんのほうであっても。
ああもう睦っちゃん、そこでもだもだしている不器用なふたりの背中を蹴飛ばして橋渡ししてやってくれ。天工老師の怪しい発明品のお部屋なりお道具なり使ってくだすってかまわないから。
「合点承知、ですわ。」
「うむむ? 」
天井に向かってガッツポーズをしながら答えた天命を、研究用の机にかぶりついていた天工詭匠が怪訝そうに振り返る。
「いいえ、なんでもないの。えっと、じゃあ、これかな。」
巨大な書き机に隙間なく並べられている鍵は、老師の最近の研究成果だ。手伝っている天命も内容は把握している。
「おいおい、そりゃまだ試作品じゃぞ。」
「大丈夫よ。テストするのにちょうどいいじゃない。」
発明品は彼らの活動資金源にもなるし、それに。
「いちばん近くでみている私たちが、一番じれったいのよね。」
誰にでもなくうんうん、と頷いて、自称か弱い女はぱきぱきと両手の指を合わせて鳴らした。
「あ、痛っ、おい、ちょっと待て天命!? 」
「不……患……? 」
不覚にも背後をとられて蹴り入れられた小屋には、先客がいた。
「巫謠、お前こんなところで何をしてんだ? 」
「お前こそ……。」
いつも背負っている聆牙もおらず、何もない木の小屋の床にぺたりと座って浪は途方にくれていた。ここで待てと睦姐姐に言われ、小一時間待ったものの何も起こらず、小屋から出ようとしたが扉がびくともしなかったのだ。そこへ、いきなり飛び込んできたのが殤である。
殤は振り返って、小屋の扉を開けようとしたが、力を込めて押しても引いてもびくともしなかった。試しに拙劍を抜いて気を込めて斬りかかったが、どういうわけか傷一つつかない。
「こいつは魔術のたぐいだな。たぶんこの小屋と俺達と、存在する次元が違っちまってる。」
「どういうことだ。」
「次元っつーか、在る宇宙が違うと、内部からはどんな力も及ぼせないのさ。封じ込めてある魔剣どもが飛び出せないのも、そんな理由があるんだと、くそじじいが確かそんな話をしてたっけな。」
次元を歪め、保存用の異空間や小宇宙を作りあげるのは、大発明の魔剣目録をはじめとして天工詭匠の得意とするところである。きっとこの小屋も、発明品のひとつだろう。
あきらめて浪と同じように床に座り込んだ殤は、やれやれと額に手を当てた。
「……睦姐姐からここで待つように言われた。考えたくはないが、まさか。捕吏に引き渡す気でいるのだろうか。」
「馬鹿言え。あいつらがそんな真似するかよ。」
殤が声を荒げたときだった。
ひらり、とふたりの目の前に、中空から一枚の紙が落ちて来た。天井からではない。いきなり出現したのである。
咄嗟に殤をかばうように立ち上がった浪の足元に、それは落ちた。
「不患、下がれ。俺が確認する。」
見るからに怪しい物体に、浪の声がこわばる。その肩を宥めるように抱いて引き寄せ、殤は落ち着かせるように言った。
「まぁ待て。天命が寄こしたもんなら、そうそう危険なもんじゃねぇだろうさ。ここは年長者に譲っとけ。」
やんわりと制して、落ちた半紙を拾い上げると、そこには見慣れた達筆でこう書かれていた。
『 肌を合わせねば出られぬ小屋 』
天工詭匠の字であった。
「はあ? 」
「どうした、不患。」
不安そうな浪をやや高い視点から見下ろして、さらにもう一度手にした半紙の文字を見る。肌を合わせるって、誰と。ここには自分と浪の他に誰もいない。
黙って紙を見せれば、浪はごくりと息を飲み込んだ。
「そんな、」
「じいさんの発明品なら、ハッタリってわけじゃなさそうだ。さて、どうしたもんかね。」
紙を折りたたんで床へ投げ捨て、そのままどっかりと床へあぐらをかいた。肌を合わせろというわりに、この小屋には寝具も寝台もない。やるとすれば床だ。
あいつらが根負けするまでここで籠城するのもいいが、次元の違う場所は時間の進み方がそもそも異なる。こちらの感覚で一日二日が、向こうでは数分かもしれない。
つらつらと、殤は考える。浪と肌を合わせるのはやぶさかではない。むしろ、ここしばらくは、その気持ちを抑えるのに躍起になって来た。どれほどその肌に触れたくても、彼は信頼する相棒であり、それ以前にひとりの男である。健気な振舞いに愛おしさが募っても、兄と慕ってくれる子供に手を出せるわけがなかった。
「……肌を合わせねば、出られぬ、のか。」
小声で浪が言って、殤に背中を向けて座った。その手が上衣に掛かり、一枚を脱ぎ捨てる。
「巫謠? 」
訝しんだ殤の声にも、振り返らない。そのうちに二枚目の上衣を脱ぎ、紐で結ばれた両袖の飾りを外した。両肩の張り出した上衣を脱げば、何にも守られない、ほっそりした浪自身の肩が覗く。その肩が大きく一度震えたのを、殤は背後から見つめた。
「なんの真似だ? 」
「……俺は、構わん。」
自分の二の腕を抱いて、俯きながら浪は言う。
かなわないと知りながら、秘めやかに育ててきた恋心だった。いつかは息の根を止めねばならない想いなら、それが今、いい機会を与えられたのかもしれない。
どうか、引導を渡して欲しい。そんな気持ちで、両足の靴を引き抜く。
覚悟を決めた浪の両肩に、殤の腕が伸びる。ぎゅっと後ろから抱きしめた。
「不患……。」
互いの鼓動と熱を感じながらも、ふたりはしばらく動かずにいた。
やがて殤は、腕を振り切るように突き放す。ここで抱いてしまうのは簡単だが、それで今まで築いてきたふたりの関係を壊してしまいたくない。ましてや、脱出の手段などという外野から与えられた理由でなどと。かぶりを振って、殤はわざと苛立ったように言った。
「自棄を起こすな。今、なんか案がねぇか考えてっからよ。」
あきれたようなため息。遠ざかる温度。ずきり、と浪の胸が痛んだ。
「自棄、か。……そうか。」
こたえてくれるとは露ほども思わなかったが、いざそれを突きつけられれば火箸のように痛い。おかげで、未練なく断ち切れる気がした。
浪はいくつかの隠し袋が縫い付けられた、上着の裏側に手を伸ばす。そこには小さな印籠に入った丸薬が三つほどある。一粒だけ取り出して残りはしまい、奥歯でかりりと噛んで飲み下す。
「巫謠、何してる?! 」
何かを飲み込んだような浪の動きに不審を感じた殤が、細い肩をつかんで強引に振り返らせる。いつもは仏頂面で、滅多に笑うことのない男が、うっすらと口の端を上げていた。何かを諦めたような、寂し気な微笑だった。
「睦姐姐は悪戯好きだが。本当に俺やお前が困ることはせぬ、優しいひとだ。」
これならきっと、すぐ出してくれる。
胃の腑から焼け付くような感覚が喉へこみ上げ、両手で胸元をかきむしった。呼吸が苦しくなり、意識がすっと遠ざかる。苦鳴をあげれば、殤は慌てふためいて浪を抱き寄せた。
「何を飲んだ?! 」
案ずるな、と言いかけて、喉が詰まって声にならなかった。死に至る量を含んだりはしない。そんな真似をすれば、殤とて後味が悪いし、睦姐姐は悲しむだろうとそれくらいの常識はある。
けれど。と、自分の体にしっかりと回された殤の腕の体温を嬉しく思う。あの時の殤からは、迷う音が聞こえた。一瞬だけでも、夢が見られてよかった。
「巫謠!? 」