花より他に
その後も天命や天工詭匠が聆牙に毒物について尋ねたが、琵琶は殤に答えたと同様に、朝になったらけろりとしている、と繰り返すばかりだった。誰よりも主人思いの人格をもった浪の愛器に、それ以上たてつく者もおらず、一同は気が気でないままに自然回復を待つことにしたのだった。しかし。
「おー、起きたか。流石に早かったな。」
天命が夕餉の支度をしようと立ち上がった時だった。からかうような琵琶の声音が起こるとともに、眠っていた浪が身じろぎしたと思えば、腕を突っ張ってさくりと半身を起こし、きょろきょろと辺りを見回した。
「巫謠!? 大丈夫なの? 」
「……別段、大事ないが。」
天命に飛び掛かられんばかりの勢いで問われた浪は、先ほどまで殤の腕の中でぐったりと意識を失っていたとは思えない様子で、きょとりとしながら返す。
「強いていえば、水をもらえればありがたい。」
「すぐに用意するわね! 」
天命の姿が消えるや、寝台の足元の椅子に座って浪の容態を見守り続けてきた殤が、眉間に皺を寄せて浪の着物の胸元をつかんだ。
「ふざけた真似しやがって、人がどれだけ心配したと、」
「出られたなら、快哉を叫ぶ以外何があろうか? 」
その手を力強く振り払い、裾を乱しながら浪は寝台の反対側へ回りこんだ。手は聆牙の首をつかみ、弦に手をかけ臨戦態勢である。
「ねぇよ、ねぇけどな、」
「なら、この件は終いだ。一切を、互いの胸中に。」
きっぱりと言い、浪は部屋の隅に数歩後ずさる。あの小屋に、長年の懸想も、あさましい未練もすべて置いてきた。自分は殤に選ばれなかった。断ち切って、思い出すべきではない。引きずれば、相棒としてのふたりの関係が駄目になってしまう。
言い返したいのをぐっとこらえ、殤は足音荒く部屋を出た。その場にいたら、天工詭匠や天命の目の前で、浪を引きずり倒してしまうところだった。
「……どいつもこいつも、人の気も知らねぇで、勝手なことばかり……っ、」
ぐしゃぐしゃと後頭部をかきむしり、裏庭に出た。
あの小屋では理性を総動員して回避したが、本音では浪が欲しかったに決まっている。失くすかもしれないと恐怖にかられ、いっそう欲しい気持ちが強まったのも。
ひとの気持ちはままならない。年下の、弟とも息子ともつかない男の存在に翻弄されて、泰然と構えていたはずの心持ちが崩されていく。自制がきかなくなっていく。
このどうしようもなさが、恋情か。親愛なる弟分に、抱くべきではない炎の病。
くそ、と草やぶに向かって悪態をつく。無理やり己の胸に合わせた浪の、白くなめらかな肌の感触が蘇り、やるせなさに天を仰いだ。