御義
既知の感情と未知のそれが絡まって、消化できずに殻を破ろうと暴れているのが、浪にはこわい。口に出して笑い飛ばせば何も怖くなくなると、かつて睦は教えてくれたが。出したところで笑う余裕すらなく、熱を与えてくれようとする優しいひとの腕で震えるだけだと知った。
「もういちど、頭を冷やしたい。」
「馬鹿言うな。もう陽が高いぞ。」
「流したい。」
「流されて、流しちまう人生は終わりにするんじゃなかったのか? 」
自分の力で、自分で選んだものを信じて生きる。運命を背負い受け止めて生きる。そう決めた時、浪の傍らには殤不患がいた。殤は決意に満ちた生まれ変わりを見届けていたのだ。
「そうだ。」
「だったら、外から襲ってくるもんも、中から湧いてくるもんも、全部消化できねぇとな。辛いだろうが、ひとつずつ落ち着いてやってみな。」
途方にくれた子供のような浪の背中を軽く叩きながら、殤は十数年前の、今の浪と同じ年ごろだった自分を思い出す。手に余り、いつ終わるとも知れなかった悩みが、いつしか笑って話せるようになるまでを。消えずに残る傷もあるが、大半はかさぶたがとれて、落ち着いて振り返れるようになるものだ。
「話して形にしたほうが片付けやすいんなら、いくらでも聞くぜ。俺は、ここにいる。」
しばらく、浪はじっと目を閉じ、何かを考えているようだった。やがて、緑の瞳が睫毛を瞬かせた後に、殤の顔をとらえた。
「……お前は、天のもたらした慈雨のようであり、火を噴く山のようでもある。」
「うん? 」
「お前を思うと、心が和らぐ。一方で、熱石で焼かれて、顔が煮えそうになる。」
「……。」
殤が何と返していいかわからないうちに、ふと、浪が手を伸ばして、殤の頬に触れた。彼のほうから殤に触れるのは、初めてだった。
「熱い。」
「俺が熱いんじゃなくて、お前が冷え過ぎてんだ。」
「いつか、母に、お前を会わせたい。」
「そんときゃ、斬るのも斬られんのもごめんだぞ。」
ふっ、と。小さく浪が笑みを浮かべた。こいつは、大丈夫だ、と確証がないまま殤がそんなことを思っていると、どちらともなく小さく腹が鳴った。
「腹減ったな。宿に戻って、朝粥でも食おう。」
浪はこくりと頷いた。そして、殤に触れた自分の指先をいつまでも眺めていた。
戻った早々に、聆牙から早朝に二人が消えたのを知らされ、心配していた天命と天工詭匠からの説教が待っていた。お説教が怖いのと、くどくどと大声が耳を刺すのと、でも心配していたのがわかるので神妙にしているしかないのと。空腹で粥が早く食べたいのとが混ざり合って、許容量を超えて。早朝の悪夢が半ば以上どこかに消えていってしまったのを、浪は不思議にもありがたく思ったのだった。