澪蘇木
このまま濡れ鼠の浪を宿に連れ帰ったのでは、同伴の二人が心配するだろうと一計を案じ。咄嗟に駆け込んだのが近場の禅寺だった。
「坊さんよぅ、ちと相談なんだが……、」
「やや、これはいけませんな。」
「なんと、立派な行いで、」
「ああ? 」
白の夜着姿で殤の外套にくるまれ、抱きかかえられた浪の姿がどう見えたのか。あれよあれよという間に早合点した老僧らから、殤は身投げした女を助けた英雄扱いをされ、気づけば火鉢のある僧房を貸し与えられていた。
「ま、いいか。目当てのもんはそっくり借りられたんだし。」
「……いい、のか? 」
戸惑いで声も出せなかった浪が、やっとそれだけを口に出来たのは、殤の手により肌と髪とを乾いた布でさくさくと拭かれ、藍色の単衣を着せかけられて同色の帯を締められた、その後だった。火鉢の前にある椅子に座らされたと思えば、熱い茶の入った湯呑を手渡される。
ぽかん、と目を見開き、人形のようになすがままだった浪を可笑しく思いつつ、殤も火鉢を挟んだ正面の椅子に腰を下ろした。
「それで? 」
「それで、って、 」
「話すんだろ。」
「聞きたいのか? 」
「おう。」
そのために、宿に戻らずにわざわざ一呼吸置いたのである。
茶をすすって、ゆっくりとひとつ息を吸うと、浪は湯呑を両手で持ったまま口を開いた。
「母に、会った。」
「ほーぅ。」
睦の話では、浪の母親は、彼がまだ少年の頃に他界している。その理由に、どうやら浪の魔性の声が絡んでいるらしいとだけ、殤は聞いていた。
夢の中で、母親に会った。そう語る浪の表情は、普段は変化に乏しい顔貌の中に嬉しさが滲んでおり、つられてこちらの表情も柔らかくなるような、ほのかな笑みがあった。
懐かしかったんだろうな。良かったじゃねぇか。そう言いかけた殤の言葉が、次の台詞を聞いて、喉から出かけてとまった。
「服が、ところどころ、千切れておられた。」
「……ん? 」
「首、も。横に、傾いで、ねじれたように、曲がって。」
それは、折れているのでは、ないのか。
「手には、錆びた刀を。鈴のついた刀を、お持ちだった。」
浪の声は、遠い記憶を手繰り寄せるかのように静かだった。
「足をひきずりながら、近寄って、俺の名を呼んで……、」
「おい、浪。それって、」
『アア、巫謠。』優しく、甘やかな響きだった。
「俺の頭上から、刀を振り下ろされた。」