厄災の神と白玉の巫子 七
遠くから、琵琶の音が聞こえました。
つい昨日、聞いたばかりのような気もするし、耳にしてから数十年、数百年経ったような気もします。男はまどろみから目覚めて、小さく欠伸をこぼしました。
この頃は谷の外も人間が減ったのか、風が気配を運んでくることもなくなりました。時折聞こえるのは獣の唸り声ばかりです。獣は人里を恐れます。近い集落などはおそらく、日照りと疫病のために廃れてしまったのでしょう。
疫病。琵琶。そして、降ってくるなんともいえない懐かしい歌声。確か、あの子供の名前は。
ぼんやりしていた意識にばちり、と石礫が投げられるような衝撃が走ったのは、太陽の色をした一筋の光が、降って来たからでした。男はもう、闇と境目がわからなくなった己の両手を精一杯伸ばして、落ちて来たものを受け止めました。
落ちて来たのは、青年か、乙女か一見してわからない、ほっそりとした体躯の人間でした。身長ほどもある夕陽の色の髪を靡かせ、白い衣装をまとい、背には赤い琵琶を背負っていました。
琵琶のてっぺんについた鬼面に見覚えがあります。確か、夢でなければこれは喋ったような。
「……お前ら。」
「よーお、おっかねぇ闇の太歳神様。元気だったかい? 」
「……久しぶりだな。」
けたたましく喋る琵琶の付喪神と、それを背負っているということは、この青年はあの、浪巫謠という子供なのでしょう。
「生きていて、くれたのか。」
無事に崖を登り切り、鬼歿之地を出られたのはわかっていましたが、その先の消息は風のたよりからは読み取れませんでした。病み上がりの、骨の浮いた小さな子供だったのです。生き延びて、成長してくれた嬉しさで、男の胸はいっぱいになりました。
だからこそ、浪が口を開くのを遮って、怒鳴りつけました。
「どうしてまたここへ来た! 今のお前らの来るところじゃねぇだろうが!? 」
気配がぶわっと大きくなり、稲妻が炸裂したかのように空気が振動しました。並の人間であるならすくみあがるような恫喝でしたが、目の前の青年は動じずに、ただ真っ直ぐに視線を男に向けています。
振動がおさまると、浪は、ふっと微笑を浮かべました。それは男が目を奪われるほどの美しさでした。
「あなたの願いを、叶えに来た。」