お前が履いているからだ
先日の、ホストクラブ臨時預かり新人キャストの太歳さんと、そこへ遊びに行くにあたって着飾った睦姉さんと白ふよさんの続き。
お薦めのドリンク、といって太歳が白ふよの前に運んできたのは、カシスオレンジと見せかけて100%のオレンジジュースだった。口に含んで怪訝そうな顔になった白ふよに、にこりと笑って太歳は言う。
「貴女はお酒が弱そうなので。酔って乱れた顔を、見せていいのはひとりだけだろう? 」
暗に、他人の前で酔った顔を見せるなとやんわり釘を刺している。対して、天命の前にはジョッキか、と思うようなサイズ感のグラスになみなみと注がれたジントニックを置く。勿論、ジョッキだろうとバケツで飲もうと、うわばみである彼女の前では水と大差ないと知っての選択である。
「独占欲の強いホストさんね。ま、上から下まで見た目はばっちりだけど、肝心の所作は身についたの? 」
「あー、それな。生来の不器用さを補うには、ちいっと時間が要るってこった。」
くすくすと笑う天命に、太歳は苦笑いする。
けれど、先ほど思わず白ふよが男前、と呟いてしまったほど、目の前の太歳の居住まいは煌びやかな店内に違和感なく調和し、独特の存在感すら発揮している。
夜の歌舞伎町を舞台にした映画の撮影で、ヒロインの親友が入れ込むホストクラブのシーンがあり、ホスト役のエキストラが欲しいと太歳の所属するモデル事務所に依頼があったのは、数週間前のことだった。
エキストラなら普通の芸能事務所の、若手の役者でも務まりそうなものだが、メガホンをとる監督曰く、ごく普通の女の子がハマって抜け出せなくなっていく過程において、説得力のある画が欲しいのだという。天命によると、さまざまな事務所の宣材写真に目を通した監督が、白羽の矢を立てたうちのひとりが、太歳だったらしい。
「それを聞いて、うちの社長も乗り気になってね。本人の今後の伸びしろの為にもなるだろうから、社長の知り合いの店で何日か働いて仕事を覚えてみないかって。」
というわけで、週に2日ほどの頻度でホスト演技の勉強を兼ねて、太歳はアルバイトをすることになった、と天命は事前に白ふよに説明していた。
それでも心配が拭えなかったのは、やはりその場所が女性達を接待し、楽しませる場所と知るからである。ただの幼馴染みの間柄の頃から太歳至上主義の白ふよにしてみれば、この世で太歳以上にカッコいい男はおらず、自分がそうだったように世の女性達もまた、太歳に心奪われて当然、と思っているのだった。
たくさんの女性に好意を寄せられて、自分のことを忘れてしまったらどうしよう。
そう白ふよが心細くなったところに、天命の誘いである。冷静になって考えれば、ホストクラブだから男性客は行ってはならないという決まりはない。ないのだが、焦りがその冷静さを奪ってしまったようだった。気がつけば白ふよは天命が用意した衣装を着て、メイクを施され、どこからどうみても女性のように仕立てられていた。
別嬪と言われたはいいが、白ふよは今さらながらに己の女装が恥ずかしくなった。こっそり行ってこっそり恋人の働く様子を見て帰って来るはずが、秒の早さで見つけられ、自分が客として恭しく飲み物を給仕されているのだ。しかも、想像していた以上に恋人の洒落たスーツ姿は、普段の三割増し男前で。飲んでいるのはまごうことなきオレンジジュースなのに、くらくらと酔いそうだった。
「もっと近くに座っても? 」
「え、あ、うん。」
頷けば、太歳はぴったりと体を密着させ、肩を抱きこむように座り直してくる。喋れば吐息が耳元にかかりそうな距離に、人前なのにどうして、と白ふよの混乱は増す。
「ちょっとぉ。見せつけるのも大概にしなさいよね。」
わたしだってお客様なんだけど? とふくれっ面の天命に、太歳は言い返した。
「角度的に、こうしねぇと店の奴らにふようの可愛い顔を見られちまうんだよ。誰が至近距離で見せるかって。」
攫われたらどうするんだ、と真剣に言うのを聞いて、天命は砂を吐きそうな気分になった。過去に実際にかどわかされたこともあるので、太歳の過保護ぶりも致し方ないのだが、それにしても。
「しょうがないわね。……あーでも、イケメンと美女を拝みながらの酒は旨いわ。そこは間違いないわ。」
人目を憚らずにいちゃつき始めた自社の所属モデル達を肴に、ぐびりと重たいグラスを持ち上げて一飲みした天命は、諦めのため息をつくのだった。