とある望月の補完その二
四日の記事の続き。pixivの望月の補完。本編まだの方は本編からをお薦めします。
即席の天幕の内側でごそごそと着替えている浪を横目に、その辺にあった岩に衣類をかけ、髪飾りを外し、ついでに拙劍も岩陰に隠して、殤は腰に巻きつけた布一枚の姿になった。敵襲がないとも限らないが、正直彼にとっての得物はなんでも良く、川の中に無尽蔵にある石でも投げて応戦すればいいと思っていた。それよりも、剣で片手が塞がってしまうことの方が問題である。
「先に入ってるぞー。」
川の水は冷たく、日光を浴びて火照った肌を心地よくなぞっていく。腰のあたりの水位のところでざぶりと頭まで一度に浸かり、立ち上がるとずぶ濡れの犬のようにぶるぶると頭を振って雫を飛ばす。周りの濃い緑を映した水面に、水滴の波紋がきらきらと輝いた。
(あれが、殤哥哥。……殤、不患。)
白い薄手の着物を羽織り、胴を締め上げるほど紐を固く結んだ浪は、耳をそばだて辺りを最大級に警戒しながらも水にむき出しの足首を沈めた。視線の先には遊ぶように水浴びをしている殤がいる。
鍛えられた、男らしい筋のついた体。胴回りのどしりとした厚みは、むしろ何も着ていない今の方が重厚さを増して見える。閨で幾度も目にし、縋りついたそれがまばゆい陽光のもとにさらされているのを、その踏ん張りのきいた腰から濃くぬめるような雄の香り立つ肌を、次第に直視できなくなり浪は顔を背ける。川の水の立てる雑多な音で気を紛らわせられたおかげで、どうにか膝までは近づくことができた。
「来い。髪を洗ってやる。」
浪の接近に気づいた殤が、振り返って両腿で水をかき分け、来た時と同様に再び手をつかむ。腰の高さに水が来る流れまで引っ張ってくると、おもむろに三つ編みを解いた髪に水をかけた。橙色の扇のような広がりが、日差しに光りつつ体にまとわりついていく。
「ひとりで洗える。」
「遠慮すんな。時短になるぞ? 」
「っ、……頼む。」
自分の体で浪の体を岸から隠すようにしながら、夕陽の色を宿す長髪を指で梳った。
心通う仲になってからは、殤は年下の弟分の体に、頻繁に触れるようになった。それこそたまりかねた聆牙が、あんまり人前でべたべたすんなと苦言を呈すほどである。浪ほどではないが、人付き合いに関しては器用でない部類の殤がそんな行動をとる相手は、心の距離がよほど近い者に限るのだと、付き合いの浅い琵琶は未だ知らずにおり、天命と天工詭匠は知っている。
「水が気持ち良いな。」
「あ、……ん。気持ち、いい。」
目を閉じて、体に数日来閉じ込めていた熱を水に逃がしながら、浪はうっとりと返答していた。高温になり暴れていた血脈が鎮められていく。こうして殤が誘ってくれなければ、姉貴分の心配通り病気になっていたかもしれないと、改めて心遣いに感謝した。
後ろ抱きにされ、優しく水を絡められ、髪の地肌を擦られるのもくすぐったくも心地良い。ほう、と息を漏らせば、なぜだか殤に苦笑いされる。
「お前、その顔、他の奴に見せるんじゃねぇぞ。」
「うん? ……ひとをそばに近づけるのは、不患だけだが。」
「そういう、ところだよな。ったく。」
水の伝い落ちる白い肌の。半開きの緋色の唇の。咲き初めの花のごとく清楚に見えて、不意に乱れ咲きの絢爛さをのぞかせる美貌の。持ち主であるこの若者には、なにひとつ己の見かけを構成する容の美しさに自覚というものがない。
彼にとって世界の善し悪しや美醜の基準の主体は、音なのである。いつぞや美人画の並ぶ屋台の店先で、殤と天工詭匠が品定めをしていた際に好みを聞けば、まったく理解の及ばないというような顔つきで首をひねっていた。曰く、心の音が聞こえぬひとの画の、美醜など判じられぬ、と。
そして、心の眼で、聞こえる音で人を見るこの男には、肝心の、己の姿だけは客観的に見られない。母に否定された新しい声を暮らしの方便としながらも、母を死に追いやったそれを良い音と思えずにいる。
戦場では自信を持って堂々としているが、ふとした折に見せる頼りなさげな表情は、身体の事情と長年、自身の心に罪人の烙印を押し続けてきた、抑圧の影響だろう。
(お前は誰よりまっすぐで、美しいのにな。)
信頼を勝ち得た証の、あたたかな体温を引き寄せる。
「ちったぁ涼めたか? 放っといたら煮えちまうかと思ったぜ。」
水浴びのおかげで先ほどよりもしゃっきりとした顔つきになった浪が、殤の裸の胸に頭をもたせかけながら呟いた。
「おかげで頭が冷えた。……が、名案が浮かばん。」
「それな。どうすっか、」
な、と言い終わらないうちに、浪の肩がぴくりと跳ねた。