炎の花の花びらの 後 その四
じわじわと、湯に浸かった時のように手足の先から感覚がよみがえる。予感はしていたがまだおぼろげだった記憶が鮮明になっていた。まるで浪の言葉が、鮮やかな道しるべとなったかのように。
だから浪は、そばにいようとしてくれた。離れてもひたむきに待っていてくれたのだ。
「そうだな。帰るか。」
殤がそう言って頷いた時だった。
「待ってましたッ! ってか遅いんですけど本当ーにィ!! 」
けたたましく、喧しく、殤の手の中の宝飾品が喚いた。驚いて思わず宙へ放り出してしまう。落ちるかと思った赤い炎のようなそれは、どういう原理か浮いたまま留まり、ぎゃんぎゃんと文句を言い始めた。驚愕している浪とふたり、立ち上がってブローチに目線を合わせる。
「はは、お前さんのやかましさも久々だな。」
「浪ちゃんは迎えに来た時うっかり幼児になっちゃったから、目的を忘れちまったのも無理ないけどよー? アンタは馴染み過ぎなんだよ。ここへ来てようやく思い出すって遅すぎ! 」
「悪い悪い。いや、あまりにも引っ掛かりが少なかったんだろうよ。浪の奴にもっと違和感でもありゃ違ったんだろうが。」
殤は頭をかいた。
「ヒトの本質なんざ、どこへ行ったってたいして変わりゃーしませんよ。ねぇ浪ちゃん? 」
ブローチに話しかけられ、浪はびっくりして瞳孔が開いていた。耳と尻尾がぴんと立っている。
「聞き覚えがあるが、……お前は。」
「ほーらー。まだ寝ぼけてるぜ。さっさとあっちに帰って体を戻さないと、この魔劍の世界に取り込まれちゃうわよーって姐御が言ってる。」
「殤、これは、一体。」
赤い宝石と殤の顔とを交互に見て、浪は困惑しきっているようだった。
だが、覚えていなくても、浪のほうが己のすべきことをわきまえていた。魔劍の世界に引き込まれてしまった殤の後を追い、出会った後は元の世界へ戻る為の道しるべを渡し、片時も体から離さぬように仕向け、最後はこの世界の通行口となる場所へ導いた。遺跡に懐かしさがあったのは道理で、殤の旅はここから始まったのだった。
肉体の意識を失わせ、するりと体から抜け出す。目の前の浪に触れ、抱きしめた。
「ようやく、触れられた。」
浪にはせずに済んだはずの苦労をかけてしまった。いつ愛想を尽かされても可笑しくはないが、この男はいつも、今さらだと言ってはぐらかす。いつの間にか猫耳の消えた夕陽色の頭に頬ずりすれば、この世界では呼ばれなかった名を、殤は初めて呼ばれた。
「……不患。」
ようやく不患に会えた。そう小さく呟いたところをみると、浪もまた本来の記憶がはっきりしてきたらしい。
体を離し、手の平に装飾具を載せ宙に掲げる。
「帰ろうぜ、俺達の場所へ。」
「ああ。」
「道案内はお任せあれ! そら、行くぜー! 」
猛スピードで回転し始めたガーネットの赤い光が、渦を巻いて二人の姿を飲み込んでいく。膨れ上がった光は小部屋をいっぱいに満たして、次の瞬間に弾けるように消えた。