あなたの残り香
届いたきり忙しくて開けられないでいた、DEMETERの殤浪香水をようやく土曜日に開封。前評判が、殤さんの『Rain』が瓜だというので、そちら系の香りは正直苦手だからどうしようと思っていたのだけれど、やっぱり殤浪好きとしましてはどちらも欲しいところで。
今までコロンは薔薇とかピオニーとか、甘い花ものしかつけたことなかったので、『Rain』なかなか衝撃的で新鮮だった。いっさい甘くない。むしろつけたてがなんか苦い。美味しい葉っぱかと思って齧ったら、柚子やすだちの葉っぱだった青虫の気分になる。なるほどこれが殤不患、ていうと、本編の殤さんは甘い甘い言われているので、もっと甘さがあっても良かった気がする。むしろ竹無双中の太歳さんの方かな。
『LavaRock』は、はい、レビュー通り、お寺。白檀のお香の残り香がほんのりするお寺じゃなくて、今まさに絶賛大量に燃やしてますっていう力強いお寺。これが溶岩、って言われると、燃えてる煙感はあるようなないような。浪さん着てるものも赤いし、もっと華やかなイメージなのかと思っていたが、霹靂さんの浪さんの印象ってこんな地味な感じなんだな。こちらも甘さはそんなになし。どちらも男性のがよく着けていそう。
『Rain』『LavaRock』それぞれ単体だと個性的なんだけど、特に『Rain』は難しいけど、ふたつ重ねると草の青さが煙でマイルドになって使いやすくなる。合うかどうかはまた別として。眠い時に頭がしゃきっとできていいかも。
どちらも自分ではほぼ買わない香りなので、今回は面白い買い物をさせてもらって良かった。なにより、推しCPの香りを重ね付けできる趣向というのは非常においしいシチュであるので、いつも思うんですが流石は霹靂さん、ファンの気持ちを良く分かっていらっしゃる。殤浪mix香水、しばらく楽しませていただきますありがとうございます。
◇◇◇◇◇
「おっと、痛ってぇ。」
魔脊山で谷間に落下した魔剣・七殺天凌と婁震戒を探す為、四人で森を分け入っている最中のこと。浪の目の前を歩いていた殤不患が、枝に手先を引っ掛けた。
「どしたの、不患ちゃーん。」
「うっかり切っちまった。」
「じっとしていろ。」
振り向きざまに見せられた中指に血が滲んでいる。浪は上着の隠しに手を入れて、白い端切れを取り出した。手の平一枚ほどのそれを細く裂いて、殤が手を引く間もなく、傷の上に重ねて固く結ぶ。
「おお、ありがとうな、巫謠。」
照れたように頭をかいて礼を言い、再び道を急ぐ殤の背を、束の間立ち止まって見守る浪に、背中の琵琶がぼそりと言った。
「良かったの? あれが最後だったんだろ? 」
主は無言でこくりと頷いた。そして、今しがた手放したばかりの手の平に乗るばかりの端切れの、かすかに宿していた香りを思い出した。
その持ち主は皮肉屋を装っているが、義侠心に溢れた優しい男だった。宿が取れずに野営を強いられた時に、浪が見張りを申し出てひとり火の傍を離れると、夜露に当たって濡れないようにと白く長い外套の布を貸してくれた。
そういったことは度々あったので、いつからその布が懐にあったのか、浪ははっきり覚えていない。ただいつも使う度に、雨の匂いと蒼蒼とした草いきれと土の匂い、それに鉄錆を思わせる暗い影が心をよぎり、その布が背を守る持ち主の過酷な道行を思い知らされた。己は彼にとって収集すべき一振りの魔劍に過ぎないと知りつつ、こうして大切に扱われている以上、浪は彼の劍として力を尽くしたかった。
殤が去り、もう戻っては来ないのだと悟った明け方。うずくまって白い布を頭から被り、己の無力さを噛み締めながら、浪は肩を震わせ嗚咽した。己が何も返せなかったことが悔しく、絶望さえ覚えた。
それでも残された布は暖かく、懐かしい香りで浪を包み込んでくれている。
古の異国では、置いて行った衣の袖を抱きしめ、焚き染められた香に恋人を偲んだという。忘れ形見の日に日に薄らぐ香りが寂しく、気づけば足は、殤の姿を求めて動き出していた。
最初に出会ったのは、赤ん坊を抱いた若い母親だった。折しも風の冷たい日で、貧しい身形の女の腕にいる赤ん坊は薄い布一枚にくるまり、寒さに震えて泣いていた。
懐から取り出した白い大きな布を三つに畳み、浪は三等分したうちの一辺を裂いて、女に手渡した。戸惑う母親に、背中から聆牙が補足する。
「これでその子をくるんでやんな。あったかいのは折り紙付きだぜ。」
ありがとうございます、と何度も頭を下げる姿に背を向け、白い布を再びしまい込んで歩き出す主に、琵琶は問うた。
「良かったの? 大事な布じゃねーのか? 」
主は無言でこくりと頷いた。殤ならばきっと、同じようにすると確信があった。
少しだけ小さくなった布と、薄れた香り。肩に被って、今日も浪は眠れぬ夜を過ごす。
それから、森の中で転んで足を擦りむいた少年の為に。浪は傷を水で洗い、白布を裂いて縛って手当をした。杖が折れて困った老婆の為に、家に帰るまでの処置に、折れたところを布を幾重にも巻きつけて丈夫に繋いだ。野良猫が仔を産んだ岩場を見つけ、寒くないようにと親子の下に布を敷いてやった。
すっぽりと浪の体を覆うほどあった布は、腰までになり、肩掛けほどになり、首にまけるだけの長さになった。
「良かったのかい? 」
やがて白い布は手の平ほどの大きさになった。今は心のよすがとなるそれを握りしめて樹にもたれ、うつらうつらする浪に、主を案ずる琵琶がぼそりと尋ねる。消えゆく形見と、遠ざかるばかりの香り。寂しさが募りながらも、問題ない、と浪は無言で頷く。離れていても己は彼の劍だ。きっと殤なら同じように振る舞う。そうだろう? と、小さな布切れからわずかに漂うかの人の香に顔を埋めて、問いかけた。
「浪、前! 」
「わっふ!? 」
目の前を行く黒い外套が急に立ち止まったのに気付かず、静止が遅れた。顔から背中に突っ込み、思わず声が出た浪に、悪ぃ悪ぃ、と殤が振り返る。
鼻からいっぱいに広がった香りは、あの日のものと変わらなかった。
傍に在る。だからもう、白い布は要らない。
浪は知らない。立ち止まった殤不患が己の指をまじまじと見て、胸の内で、ずいぶん小さくなっちまったな、と呟いたことを。
そしてまだ知らない。同行の二人の眼を掠めるようにして、黒い布を手渡される事を。