呼び名ひとつで
東離三話に引き続き、四話も非常に濃かったために、あれもこれもと妄想が沸いてくる。殤浪好きといたしましては一話からいろんな萌えがありましたが、今回一番だったのは捲ちゃんの、浪さんの呼び方だった。
「巫謠さん」て。
西幽玹歌の時に計算した、個人的に考えてる浪さんの現年齢って22才~3才で、外見的にそこまで捲殘雲と離れてないはずなんだよな。長幼の序があるとしても、タメに近い相手だったら「浪」って呼び捨てしていそうなのに。
そこはやっぱり、彼にとって尊敬する英雄である殤不患の嫁、の認識が生まれているからなのでは。殤家に嫁いだ浪巫謠さんなので、呼び名は「浪さん」じゃなくて「巫謠さん。」
同じ理由なのか、丹家の入り婿になった捲殘雲も現在、殤さんに「殘雲」と呼ばれている。うろ覚えだが一期で彼のお師匠は、「捲」と呼んでたはずなのに。
凜さんも「巫謠どの」「殘雲どの」と名前で呼んでいるところを見ると、しかもそれが別に馴れ馴れしいんだよ煙管野郎、とか聆牙にどやされていないところを見ると。嫁入りまたは婿入りした人間への、萬輿国時代からの共通ルールなのかも知れない。
肝心の当人達はというと、不器用なのか照れくさいのか結婚前からの癖が抜けないだけなのか、未だに「殤」「浪」呼びなところがなんとも。周りは空気を読んで変えても、当人達がなかなか変えられないのって逆に萌える。
◇◇◇◇◇
寝台に上がってどちらからともなく唇を吸う。ちゅっと軽い音を立てて離すと、行為に溺れてしまう前にと、殤不患は昼間、捲殘雲から問われた疑問を口にした。
「殘雲のやつが言ってたぞ。『どうして巫謠さんは旦那のこと、未だに殤って呼ぶほうが多いんすかね? 』だとよ。」
「うっ……、」
灯火を落とした部屋で、窓の障子ごしに差し込む淡い月明かりだけに照らされてなお、はっきりとわかるほど、浪の頬が赤くなった。
西幽でつるんでいた相棒、と渋々浪を紹介した先の白い詐術師は、七殺天凌を巡る顛末においてどうも不審を抱いたらしい。何だっていいだろ、と突っぱねたつもりが、気がつけば揚げ足や言葉尻をとられ、観察を重ねられるうちに、西幽を出る前に結んだ縁を見抜かれてしまったようだった。
(別に、ずっと隠し通したかったわけでもねぇけどよ。)
呼び名が楽師殿や浪殿から、巫謠殿、に変わったので、ああバレた、とすっかり観念する。当の浪はあの詐術師の黒い魂を毛嫌いしているので、揶揄ったり、わざと近づいて毛を逆立てられるのを愉しんでいるらしい。まったく趣味が悪い仙人もどきもあったモンだ。
凜がそう呼び始めると、丹家の夫妻もまた察して変えた。居心地の悪そうな浪を、琵琶もまた名で呼ぶことで彼なりに気を使い、慰めているようだった。
「ちゃんと、呼んでる。」
姫冠を外した前髪を撫でてやると、浪は小声で絞り出した。
それは知っている。我を忘れるまで、理性を無くすまでいいところを可愛がってやると、声を戒めるのもおろそかに、不患、ふかん、と涙混じりに鳴き続ける。それはそれで大層可愛らしく、殤の欲を煽るのだが、そうではなくて。
「まぁ俺も、閨でしか呼べてねぇけど。」
「昼は、名を呼ぶな。」
殤の唇を、細い指が抑えた。それが少しショックで、指を外して聞き返した。
「なんで昼は駄目なんだ? 」
浪はしばらく部屋の隅に目を泳がせていたが、やがて困惑したように腹部に手を当てた。
「いつも、夜、呼ぶから。……昼に聞くと、ここが、じゅくじゅくって、する。」
はぁんと吐息を吐き出す様が甘く、伏せた瞳のふちが赤らんでいて。
殤は思わず額を右手で抑えると、次の瞬間白い耳たぶにやわやわと噛みついたのだった。
「くっそ、巫謠、お前! 」
ふよう、ふよう、と名を幾度も敏感な鼓膜に流し込んでやれば、悲鳴を上げてびくびくと痩躯が震えた。
(ああ駄目だ。いっそう昼に呼べなくなっちまう。いっそあいつらが名前呼ぶのも禁止すっか。)
独占欲にかられた亭主は次の日さっそく宣言し、浪は動けなくなった寝台の上で、見舞いのふたりから揶揄い倒されてしまうのだった。