魔界デートの顛末
東離八話、七話でどうも浪さんの血縁らしき魔族が出て来て、これは次の八話でなんらかの種明かしがされるに違いない、と意気込んで視聴していたのですが。……持ち越しなのかい。それでもって、挨拶もしないで帰還という肩透かしっぷり。
一体殤浪は何をしに魔界までわざわざ飛ばされたのか。これでは、痴話喧嘩の後でも根幹は揺るがない夫婦愛を、魔族三兄弟と視聴者に見せつけに行っただけではないのか。まぁ、凜さんの暗躍回を作るのと、べるさんの気が変わった動機づけと、現在の魔界の状況説明のためもあろうが。たまたま、逢魔漏で飛んだ先が魔界で、そこでたまたま戦闘が起こって、たまたま歌を聞いてたのがべるで。ひとつ違っても噛み合わないご都合主義の歯車に乗せるよりは、普通に照媛の提案にべるが気まぐれで手を貸して、無界閣で殤浪と神蝗盟が戦ってる最中に、そっち騒がしいけどどうしたの、と介入して浪さんに気づく、のほうが自然のような気はするのだけれど。
でも、どこかに飛ばされたのがなければ殤浪デートも見られなかったので、いいのか。なかなか逢魔漏が光らなかったということは、結構な時間、魔界で一緒にいたと見ていいんだよね。いったい、何をしてたんですか殤浪さん。
何気に三期、殤浪妄想にちょうどいい隙間時間が多くて嬉しい。捲ちゃんが薬を取りに行ってから、殤さんが婁震戒を撒いて洞窟に戻り、看病をしている間の時間がまずひとつ。浪さん復活から、聆牙が骨休めだな、と宣言して、再び逢魔漏が光って三人で無界閣へと戻るまでの時間がひとつ。そして七話終わってからの、魔界デート時間がひとつ。それぞれで妄想小話が一話ずつは出来上がってしまう。隙間時間一か所につき、三パターンぐらい考えられるとして、八話までで九つもあるのだから、妄想のし甲斐があるというもの。ヒュドラの頭みたいに増えるなぁ。
まずはひとつ。骨休め編を、例によって書きたいところだけ即席版。霹靂さんの新春パロ。
◇◇◇◇◇
「おっ、来たんじゃないのソレ、光ってるよー。」
「いや。映ってんのはどこかの山脈と、草原と牛の群れだ。こいつはどう見ても無界閣じゃねぇな。」
骨休め、と宣言した魔楽器の言葉を受けてか、それに言霊の類でも含まれていたわけでもあるまいに、殤不患の手にした逢魔漏は、一度は光ったものの無界閣の姿を映し出さなかった。そのうちに、捲殘雲の腹の虫がぐう、と鳴り、浪はぱちぱちと瞬きをした。
「あー、スンマセン。巫謠さん元気になって、安心したらなんか、腹減っちまって。」
出血が多く、生気が乱れて呼吸も整わず、いつこと切れるか気が気でなかった先日までの浪の有様を、捲殘雲は背中全体で覚えていた。お使い先で出会った盲目の女性、睦天命を巡って殤に食って掛かった声を聞いて、どんな因縁が、と気になったのと同時に、これだけ喋れるなら一安心と、胸をなで下ろしたのも事実である。
「仕方ねぇや。携帯食料だけで駆け通しでよ、ちったぁ漢気のあるとこ示してくれたもんなぁ眼帯ちゃんは。お、そうだ! 」
揶揄い混じりだが、天工詭匠の元へ走って霊薬を持ち帰ってきた若者の気骨を、聆牙も今では十分認めている。
「なんだ? この辺りにゃ飯屋はねぇぞ。そこいらの農家に声を掛けて、官憲を引っ張ってこられても厄介だし、遠出してまた婁震戒に見つかっても面倒だ。」
顎に手を当てて考え込んだ殤に、目を瞑って辺りを探っていた浪がぼそりと呟く。
「……河がある。」
腹が減っては戦は出来ぬ。無界閣に急ぎ戻って、七殺天凌を回収するのも大事だが、婁震戒が東離にいる以上は時間の猶予もある。何より、逢魔漏が反映しない以上は戻れない。
「なーんか思ってたより、面倒くさい鏡っすね。」
河川敷の大岩に座りこみ、逢魔漏の見張りを仰せつかった捲殘雲は、妖し気な形状の手の平サイズの魔道具を覗き込んでいた。
「萬軍破の奴も、これで鳳曦宮と無界閣を行き来してるんなら、相当気が長くねぇと苛々で胃が参っちまうぞ。行きたいところへ行けるようになったら、それこそ一枚残らず壊しちまわねぇとならねぇ代物だがな。」
「不患ちゃーん、生えてたぜ。」
対岸が見える程の河だが、流れはゆったりとしている。水際に立ち、水面を見つめて腕組みしている殤に、ここへ来てからいっとき姿を消した浪と聆牙が音もなく近づいて、細長い紐状のものを手渡した。ところどころ葉があるのをみると、蔦やつるのようでもある。
「おー、じゃ、始めるか。」
「樹の下。川底寄り。」
「へ? 何をやろうってんで、旦那? 」
浪が指をさしたのは、河の上流、対岸から伸びた樹木で影が落ちている水面だった。長い緑の蔦を、手の平で遊ばせて握ったり離したりしていた殤の左腕が、突然投擲したかのように大きく動く。弧を描いて飛んだ蔦が、勢いをつけて水面に沈んだ。かと思えば、先端に何かを巻きつけて、殤の手元に戻ってくる。蔦がくるっとほどけて河川敷に放り出したのは、丸々と太った前腕の長さほどの魚であった。そこら中に転がっている石に当たりながら、びちびちと元気に跳ねている。
捲殘雲は驚きで開いた口が塞がらなかった。
「おっさん、なんつー才能を……。」
どこの世界に、野生の蔦に気を通し、武器ならともかく漁具にする武侠がいるだろうか。その相棒はといえば、聆牙を抱えて一弾きし、跳ね返って来る音を聞いている。
「追い込んだ。岩影。」
「おう。」
銀色の琴爪がついた指が示した場所へ、生き物のように蔦が伸びた。繰り返されるうちに、一尾、また一尾と陸に上がった魚が増えていく。
「こんなもんか。じゃ、調理と行くか。」
「ああ。」
「すっげぇ、あ、じゃあ俺、火を熾すの手伝いますよ! 」
立ち上がって駆け寄った捲殘雲に、鬼面の牙をかたかたと鳴らして聆牙が言う。
「ま、見とけって殘雲ちゃん。あ、耳は塞いどけなー。」
幾重にも重なった紅衣装の下を探り、幾つか小袋を取り出した浪がそれを殤に手渡す。それぞれの中を改め、しばらく作業をしていた殤だが、浪が岩場に腰を下ろして聆牙を構えると、3匹ほどの魚を掴み、なんと空中高くへ放り投げた。
「え、ちょっと、何やって、」
目を見はった捲殘雲の前で、間髪入れずに浪が聆牙を弾き、歌い出した。体中から放たれた魔力が高音の炎となって回転する魚を取り巻き、見る間に香ばしそうな焼き色をつけていく。
「拙劍無式・一刀片魚! 」
続いて殤が刀を抜いた。気を帯びた刀は焼き魚に触れることなく、頭を落とし、背骨と内臓と尻尾を切り落とし、ほこほこと湯気を立てる白い身だけが、皿代わりに用意されたと思しき大きな葉の上に積み重なっていった。仕上げに殤の手で、ぱっと白い塩が振られる。
「見たか! これが西幽きっての、剣士と楽士の夫婦妙技よ! 」
「はわわー、」
耳から手を離した途端、誇らしげに聆牙が言うのが聞こえた。丹翡さーん、俺なんかやべぇ業を見ちまったぜー。今は遠く離れた妻に、心の内で縋るように告げる。
魚の他にも、小麦粉をこねたらしい餅を同様に放り投げては焼き、信じられないものを見て放心していた捲殘雲が瞬きを繰り返している間に、すっかりと河川敷の食卓は整っていた。
「殘雲、冷めないうちに食え。」
「ええ?! ああ、いただきますっ! って、うっめぇ!? 」
この頃では、丹家の料理番の腕前に慣らされた捲殘雲の舌をもってしても、思わず唸るほど、合作の焼き魚は美味だった。炙った餅を齧りながら、殤も枝で作った箸を伸ばしている。
「あれ、巫謠さんは? 」
離れたところで聆牙を抱えて座り込んでいる浪を、殤が臨時の食卓まで連れて来た。そのまま、自分の背中に寄りかかるように座らせる。
「凭れていろ。」
無言で頷き、体を寄せた紅衣をそのままに再び箸をとった殤に、捲殘雲はどきりとした。
「あの、巫謠さんまだ、本調子じゃないんじゃ、」
「なァに心配すんな、殘雲ちゃーん。霊薬のおかげで腹が減ってないってだけさ。」
「気にせず食え。これは浪と俺からの礼だ。今は、こんな冴えない礼しかできずに悪いが。」
抱えられた聆牙と殤が、取り繕うように笑った。
「でも、俺が腹減ったって言ったせいで、巫謠さん無理して、」
「殘雲。」
殤の背に伏せられていた夕陽色の頭が上がり、宝石を思わせる深い緑の眼差しを、真っ直ぐに向けられた。河の水音を割るほど深い響きが耳に届く。
「礼を言う。お前の為なら、力を尽くそう。」
「巫謠さん……。」
「良かったな、殘雲。今度は鴨でも焼いて供そうか。次は丹翡も一緒の時にな。」
箸を置いた手でそっと浪の前髪を撫でて、殤不患は手にした焼餅をひと齧りした。
食事を終えてしばらくしてなお、逢魔漏は光る兆しを見せなかった。傾き出した日差しに眠気を誘われながら、鏡の表面と、それから少し離れた場所で凭れ合いながら座る殤不患と、その相棒を眺める。
(なんか、いいよな、あのふたり。)
本気でぶつかって、あんなに声を荒げて言い合った後が嘘みたいに、二人は息のあった調理を見せていた。今も、自然に寄り添って座っている。
(ま、俺も丹翡さんと喧嘩しちゃった後、謝って、元通りになるけど。)
お互いに安心して本音をぶつけ合えるのは、根底で信じるものが繋がっているからだと、夫婦になって日が浅い捲殘雲でもわかっていた。どれだけ意見が衝突しても、それを越える愛情が互いにある限り、人はそうそう気まずくなって離れたりしない。
自分の因果のせいで愛する者を失うのは耐えられない、と殤不患は言い、愛ゆえに側にいて守りたいのだと浪巫謠は言う。たとえどれだけすれ違おうとも、距離が開こうとも、根底にあるのが互いへの深い愛情である以上、二人の形が揺るぎはしないのだ。
(だから殤の旦那もまた、側に置いて大事にしてるんだろうな。あの旦那の、見たことない顔を初めて見た。)
つかの間の骨休め。これから無界閣に戻れば、またどうなってしまうかわからない。
もうちょっと空気読んで、光らずにいろよな、と、殘雲は鏡の側面を指でつんと突いた。