殤浪@サンファンドットコム

【Attention!】こちらはBL要素・18禁の内容を含みます。どうぞご注意下さい。Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀 のキャラクターのカップリング推しの管理人、律による、腐向け二次創作記事中心のブログとなってます。

ひとを、支える

西幽玹歌の内容を繰り返し反芻しては、ひとの、幼少期のトラウマが大人になってから心に与える影響っていうのをつらつら考えてしまうのだけれど。

浪さん、目の前で、最愛のお母さんが死んだのだよな。

しかもそれ、自分のせいだと思ってずっと生きてきたのだよな。最新の、二期の時点でも、そうなんだろうか。傷は癒えていないんだろうか。何かの弾みで思い出してしまったりするんだろうか。

聆牙は言った。「お前は何も悪くない。」

精一杯の、器物なりの慰めの言葉だと思う。でも、状況的に見ても、どうしたってあれは自分のせいだと思い込んでいる子供に、その言葉は届くだろうか。むしろ、心に棲む悪い鬼の声だと思っているなら、自分の心の弱さが生み出した闇だと思っているなら、その言葉を全否定しようとしただろうな。

母の為、母の言葉を信じて血の滲むような努力を重ねていたのに、突然、母殺しの罪を負ってしまった。自分の名を寝言で呼ぶ優しい声も、いつの間にか自分と大差なくなっていた細い手首の柔らかさも、体温も。失われて、二度と戻らない。

「自分は、悪くない。」なんて、思えるはずがないし。そう言われるのは辛かったはずだ。ってところからざっくり妄想。

◇◇◇

 最寄りの市から隠れ家までの長い帰り道、殤不患と浪巫謠はそれぞれ食料を買った荷を負って、街道を急ぐでもなく歩いていた。浪の背中には珍しく、愛用の琵琶、聆牙の姿はない。天工詭匠の発明品をひとつ売り、それを元手に当面の糧を集めた為、あらかじめ荷が膨らむと予想して置いて来たのだった。

 お喋りで賑やかな琵琶がいないと、男ふたりの帰路は静かである。傾き続ける陽光を浴びながら、市を出てから無言で歩き続ける若き朋友に、殤は退屈しのぎに、市で気になっていたことを尋ねることにした。

「さっき、何を熱心に眺めていたんだ? 」

 はかばかしい返事は期待しない。彼に話しかける時、答える頻度は背に鎮座する琵琶のほうが高かった。恥ずかしがり屋さんなの、と琵琶は言ったが、それにしても程度があるだろうと思われる口数の少なさだった。

「……行商の、二人連れを。」

 少し考えて浪が口にしたのは、やはり端的な言葉だったが、殤はなるほどと頷いた。先刻までいた市の端に、大きな背負い籠に野菜を入れて売りに来ていた母娘らしき二人連れがいた。母親は総白髪でやや背が曲がり、妙齢の娘が肩から荷を降ろすのを手伝っていた。そこで、浪の足がしばらく止まっていたのだ。

「……あれは、何を? 」

 珍しく、浪のほうから話しかけられる。が、あれの中身が思い当たらずに殤は首を傾げた。

「あれって? 」

「拳で、肩を、……とんとんと。」

 思い出しながら言う浪に、内心驚きながらも、それを顔に出すことはしない。初対面ではずいぶん大人びて見えたが実は一回りも年下だったこの男は、不思議と世事に疎い部分があり、その都度聆牙や睦天命に教唆されていた。当人も己が世間知らずだとわかるのか、唇を噛み締めつつも、ひとことも漏らさぬように耳を傾けている。

 知らぬと傲慢に居直るよりも、学ぶ姿勢があるのはいいと殤は好ましくも、可愛くも思う。先ほどの二人連れは荷を降ろした後、娘が母を労わるようにその肩から背中を叩いていた。

「あれは、肩たたきっていうんだ。長時間重い荷物を背負ってたら、肩が凝るだろう。それを軽く叩いて、固まった筋をほぐして血流を良くする。ま、たいていはああいう風に、子供が親をねぎらってしてやるもんだ。」

 にこにこと笑いながら肩を叩き、叩かれていた母と娘を思い出す。

「……子供が、親に。」

 ぽつりとこぼされた言葉に付随した、寂寥の色に、殤ははっとなった。天命と、合流してからは聆牙からも、浪の生い立ちはそれとなく耳に入れられていた。天命からはあまりきついことを巫謠に言うなと釘を刺されている。世に出たいっぱしの男に、どいつもこいつも過保護過ぎやしないか。当初はそう反発していた殤も、浪の人となりを知るにつけ、次第に危なっかしくて目が離せなくなったのだから笑えなかった。

「そうだ。母さんの肩を叩いたことはなかったか。」

 話題を避けるのは返って不自然に思えて、あえてさりげなく殤は聞く。

「なかった。教わる前に、母は、」

 首を振って、浪は答えた。叩くよう、求められた記憶もなかった。教わる前に、母は死んだ。冷たい雪と、凍てつく風。思い出せばふっと目の前が暗くなる錯覚を覚えて、踏み出した足がぐらりと揺れる。たいした重さの荷を背負っているわけでもないのに、見えない雪に足を取られたようだと、浪はそれを不思議に思った。

 不意にふらついた浪の腕をつかんで、殤は道の脇に広がった木陰へと足を踏み入れた。一瞬で青ざめた顔色を横目で見て、触れてはならない傷口に、触れてしまったのだと気づいた。

「殤? 」

「歩き疲れたろ。荷物を降ろしな。教えてやるよ、肩たたき。」

 木陰の柔らかそうな草むらに座らせ、その背中から強引に荷物を奪い取って地面に置く。戸惑いの濃い眼差しを無視して、殤は長く三つ編みの伸びた背後に回り込んだ。そのまま軽く握った拳で、首の付け根から肩にかけてをコツコツと叩いて行く。

「どうだ。」

「……わからない。 」

「気持ち良くないんじゃ、さほど凝ってないって証拠だな。」

 ひとしきり叩いて、反応のないまま手をとめれば、浪が振り返った。

「今のを真似れば良いのか? 」

「やってみるか。」

「ああ。」

 気を逸らせるために肩たたきを教えようとして、完全にしくじったのを殤は悟る。自分の背に触れた浪の指先が、細かく震えていた。

「すまん。手が、うまく、動かん。」

「ゆっくりでいい。焦るな。」

「寒くて、谷から昇る風の音がうるさい。吹雪が強まれば、梢の新芽を折ってしまう。」

「そうか? そろそろいい夕陽が拝めそうだぜ。明日は晴れるといいな。」

「俺の、せいで。」

 自分がどこにいるのか、浪はわからなくなった。請われて殤の肩を叩いていたはずが、いつの間にか視界は白い雪に覆われている。どこからか、心に棲みつく鬼の声がした。繰り返し、繰り返し醜い声でわめいている。お前のせいじゃない。お前は悪くないと。救いのはずのそれは、凍気となって心を切り裂く。幾度も流した血が再び溢れて、白かった視界を真っ赤に染め上げた。けれど、背負って生きると覚悟を決めてまとった衣が、再び無視界の、冷たい雪崩の中へ閉じ込められていく。

「お前も、言うのか。俺のせいではないと——、……っ、」

 不意に何かとてつもなく熱いものが、浪の口にねじ込まれた。浪の言葉と思考を奪い、呼吸を奪いつくしてなお蠢き。四方に降り積もった雪の壁を溶かしていく。歯列をくまなくなぞり、抽挿を模した動きで強く上顎を舐められる頃には、木陰の寝床へ戻る小鳥のさえずりや、夕空を渡る雁の声音が聞こえていた。

 目を開けば強い輝きの星がふたつ、目の前で真っすぐに浪を射る。清らかで善性の高い、真摯なまなざし。出会ったあの日から何も変わらないそれを、瞬きと共に見つめた。

「さあな。そろそろ戻ってこいってんだ。」

 濡れた唇が、いつの間にか浪の後頭部に回っていた手が、ゆっくりと離れて行った。

 日が暮れて、空は木々の間に橙の光を落とし始めていた。

 

「お前が自分のせいだと思ってんなら、お前のせいでいいだろうさ。」

 再び背を向けた殤は、思いもよらぬことを言った。

「お前のせいで、母さんは死んだ。お前がそう思い続ける限り、どうしたって逃げようのない真実だ。別段、逃げる気もねぇんだろ。」

 逃げない。己は魔剣のようなもの、そのさだめとともに。

「一生受け止めて、生きて行く。」

「そうか、そんなら。」

 胡坐をかいて草むらに座った殤の両手が、後ろ手に、握りしめたままだった浪の拳をとって開かせた。そのまま自分の、白い外套の肩へと導く。

「押しつぶされそうになったら、縋れ。叩いても、握りつぶしても、好きにしていい。」

「俺の肩なんぞで良けりゃ、いくらでも貸してやる。」

「……お前は。」

 この男は、本当にお人好しだ。そう浪は呆然と思った。剣士が肩を貸してしまったら、どうやって剣を振るうのだ。このお人好しぶりではそのうち肩どころか、自分の名まで人に貸し出すのではないだろうか。

 だが、この男ほど芯が通ってしっかり自分を持っていれば、人に肩を貸そうが名を貸そうが、なにひとつ己が揺らぐ不安はないのだろう。

 腕を回し、おずおずと額をつけた殤のうなじは、黒髪越しにも温かかった。浪は遠い昔におぶわれた、母の背を思い出す。思い出しても、もう胸のうちから湧いてくる寒さに脅かされることはなかった。縋る背は大きくて、広くて。あの日、凍った崖の向こうに失った背中は、ずいぶんと小さく見えたけれど。ああ、あれを。あの肩を。

「叩きたかった。……ははうえの、……肩を。」

「おう。」

 絞り出した言葉に、かけられた声はひとこと、ぶっきらぼうだった。けれどそれからしばらく殤不患は、自分の首に縋りつく男の体の、不規則な震えが止むまで。少年の気配の残る柔らかな髪を、後ろ手にそっと撫で続けていた。

 

◇◇◇