応援上映
日本でも西幽玹歌の応援上映が決まったという。場所は?! と探したら関西だった。出不精の人間に、残念ながら関西は遠すぎる。日時はなんと浪さんのお誕生日。こんな粋なことをして下さる、霹靂社さんみたいな映画館があるんだなぁ。行けないけれども、開催して下さるその心意気が本当に嬉しい。
応援上映というスタイルは、一度も体験したことがない。サンホラのライブではその、観客も舞台の一部としてコール&レスポンスを求められることがあるのだけれど、それも、ここでああして下さいこうして下さいと、事前にある程度の仕込みと予習とがあった上での演出だし。一緒に歌ったり、自分の好きな掛け声をかけたり、合いの手を入れたり、というのは、意外と難易度が高いのではないかと思っている。笑うシーンといっても、あの映画で笑いをとるような場面は狂狷さんが張り手されるところぐらいしか浮かばないし、あとは最後の、「今宵はここまでにいたしとうござりまする」的なパロ部分しか。
でも、ひとによって感情の出し方や応援の仕方は異なるのだし、行かれる方は存分に楽しんで欲しい。せっかくの応援上映だし、木偶様が来てたらまた楽しいだろうな。
ライブの日の浪は、舞台の上で完全燃焼して疲れ切っている。以前、遠慮して、殤が関係者席で観覧した後、楽屋に顔を出さずに帰ったら、ひどくむくれられた。
「どうして来なかった。」
「どうしてって、お前。くたくたになったあとで、余計な気を遣わせたくなかったんだよ。」
「そうじゃないっ。」
タクシーで、深夜に殤の店舗兼簡易住居へと押しかけて来た浪は、軽い癇癪を起こしているようにも見えた。どちらかといえば歌以外で感情を表に表すことの少ない男の、珍しい苛立ちだった。けれども、困惑している殤の顔を見ると途端に顔色を変えて、狼狽えるように言う。
「ちがう、怒りたいんじゃ、なくて。」
「わかってるよ。」
年下の恋人が見せる駄々は、甘えと一続きだと知っている。そんな顔を見せるのも殤の前だけだと理解しているので、猫の甘噛みと等しく可愛いだけである。
「俺は察しが悪いからなぁ。どうして機嫌を損ねちまったのか、教えてくれねぇか? 」
そう殤が笑えば、浪は泣き出しそうな顔で、ぎゅう、と逞しい胴に腕を回して抱き着いた。
「終わったあとは、不安になる。」
本当に、あの演奏、あの演出で良かったのか。自分の満足行く音は出せても、それが観客に受け入れられたのか。ファンは、喜んでくれたのか。批判だってされるかもしれない。飽きられるかも、知れない。
やりたい音楽を好き放題やって、受け入れられればそれが一番だが、デビューしてから理想ばかり追っていたのでは駄目なのだと、現実の壁を突き付けられた浪だった。かといって、自分を曲げる器用さは持っていない。
やりきった達成感と興奮と、襲ってくる疑問と不安と、ぐるぐると混ざり合うそれが神経をひりつかせて鎮まらないから。
「そばに、いて。」
殤が笑ってくれて、よかったぞ、とひとこと言ってくれだけで、どれだけ落ち着くか。たどたどしく、そんな風にいくつかの理由を挙げて締めくくられた言葉を、殤は全身で掬い取る。
「いつでも、帰って来い。俺はここにいるから。」