挽歌
持ち時間はひとり5分まで。一曲を丸々弾いてもいいし、その枠に収まるようアレンジしても、自作曲でもいい。楽器もなんでもよく、ピアノ、パーカッション、ハープのように大型のものも可能だ。楽器が出来ない者は、ステージにあるマイクを使って歌を歌うこともできる。大勢に門戸が開かれたコンクールなのである。
浪が舞台袖からステージの音を聞いていると、気をきかせた学生スタッフが椅子を用意してくれた。
「ありがとう。」
「い、いえ。」
あの浪ふようが礼を言った。スタッフはどぎまぎしながら踵を返す。ひとが変わってしまったという噂で持ちきりだったが、良い方向に変わったなら歓迎である。
浪の出番は後半だった。演奏だけでなく、作曲や声楽といった音楽全般に興味がある浪にとって、学内のこういった催しは楽しみだった。頻繁に開かれるお茶会やダンスパーティは断り続けているものの、楽団を招いた演奏会などには積極的に顔を出している。
(音楽は、いつの時代もかわらず、いい。)
ことに現在のコンクールは、負けても命を取られたりはしない。平和でなお良し。
ひとりの演奏が終わるたびに拍手をしながら、浪は自分の出番を待ち続けていた。
いつもはジャージ姿の体育教師、殤も、さすがに音楽鑑賞ということでスーツを着込んで教師用の席に座っていた。ここ数回はまるで最優秀賞をとった少女への生贄、景品として扱われていた殤である。理事長、校長をはじめ、学園のお偉方に圧をかけられては逃げることもできずに、教師席に無理やり着席させられていた。
けれど今回は、ひとつの楽しみがある。非常階段付近で聞こえていた、転校生の凜のものらしい演奏を聴くことである。一位になったらなんでもひとつ言う事を聞く、と教室で強引に約束させられたのは気になるが、全力で戦ってそれに見合う演奏をしたならば、きいてやってもいいかもしれないと思っていた。彼は生徒に甘いのである。
演奏が進み、ステージの中央に、白いドレス姿の凜が現れた。青をあしらった袖から伸びた手には、バイオリンが握られている。
一礼をして弾き始めた音を聞いて、客席が沸いた。
目を瞑って聞けば、学生とは思えないほどの演奏力である。今まで演奏した奏者達とは格が違っていると、素人耳にもわかる。音がきっちりと完成されているのだ。
が、殤はもやもやしたものを抑えきれない。想像していた音と違ったのだ。
(前に聞いた音は、こんな音だったか? )
凜の演奏は技巧的で素晴らしい。だがどこか、機械が弾いているような硬質さを殤は感じる。しかし、周囲の人間は演奏が終わって笑顔を浮かべた凜を、スタンディングオベーションで讃えた。
「さすが、喧嘩売ってきただけのこたぁあるな。ま、お前さんの腕にゃ及ばんが。」
「わからん。だが、正確な演奏だった。」
「計算されてんだよ。」
袖で聞いていた浪とバイオリンの聆牙が、止まない拍手の中で囁き合う。続いて数人が披露すれば、いよいよ浪の出番だった。
ステージ中央に進めば、客席がまた騒めいた。そこにいたのは自信たっぷりに高い衣装の裾をひらめかせる、彼らが見慣れていた悪役令嬢の浪ふようの姿ではない。制服を選んだ浪は、先ほどのドレス姿の凜の美しさに比べればはるかに地味だった。
浪が選んだのは、「Amaizing grace」という曲のバイオリンアレンジだった。神の恵みを「あるひと」に置き換えて、心を込めて弾き始める。
最初の一音を聞いて、教師席にいた殤ははっとした。
(これだ。じゃ、あの階段で繰り返し練習をしていたのは……。)
まっすぐに澄んで、ひとの心にじわりと染み入ってくるような音色だった。奥底まで深々と侵入し、様々な感情を想起する。
以前、コンクールで聞いた浪ふようの演奏とはまるで違っていた。技術力も表現力も、別人のように上達している。
会場中が魅せられ、ほうっとため息をついた、その時だった。
どこからともなく、浪の手元へとひゅんっと何かが飛んだ。
ぶつりと音を立てて弦が数本切れ、大きく反り返る。バイオリンにぶつかった後、ステージ正面のカーテンに当たって落ちたそれは、手の平よりやや大きな、矢の形をしていた。
(っ、吹き矢か?!)
「ふようさま!? 」
「いったいなにがおこったの? 」
客席に、取り巻き達の悲鳴と、観客達の不審な声がまたたくまに広がった。
演奏中の生徒を狙った人間がいる。立ち上がり、ステージへ走ろうとした殤はしかし、ステージ上の少女を見上げて固まった。
浪ふようは落ち着いていた。振り向いて落ちた矢を見つけ、納得し、肩からバイオリンを降ろして話しかける。
「無事か、聆牙。」
「なんとか、な。本体に傷はねぇよ。しっかし、卑劣な真似しやがる。」
持ち時間はまだ半分以上もある。ここで演奏を止めたら、襲撃者の思う壺だろう。
顔色ひとつ変えることなくバイオリンを床へ置き、浪はつかつかとマイクへ歩み寄った。選んだのは詞のある曲だった。なら、残りは歌えばいい。
(とめたいのなら、次は喉を狙え。)
愛おしいひと。わたしはかつて迷い、盲目だったが、今なら正しさを見つけられる。
信じるあなたが導いてくれた。
(俺は太陽のように輝きながら、お前の功績をたたえる歌を、歌い続ける。)
浪の口元から流れ出したのは、天使のようなソプラノだった。